Linuxからアホ話まで、何でもありでござる

2016年02月13日

共感力って観察力がないとダメなんじゃね?

[つれづれなるままに]
少し前のエントリにまた面白コメントが付いたので書いておく。
そのエントリは動物に人間のような複雑な感情があるとは思えないというやつなんだが、まぁ、なんだ、動物好きなら「何だコイツ」と思われるに違いない内容ではある。

それについたコメントがこちら。
共感力の違いではないでしょうか。
母性を発揮したり、仲間や飼い主の死を悼んだり…動物にも心はあります。
「ラデミンズの心中を思い、共感した」ということを紹介しただけなのに、それを「押しつけ」とするのは、いかがなものでしょうか。
それを「押しつけ」とするのならば、あなたの記事も「それが一番正解な気がする。」と自分の主観が正しいように思い込み、「意味もなく複雑な感情があるように思い込むのは間違いである。」と押しつけています。

「共感力がない人間は、他者の共感も得られない」ということを学ばせていただきました。
そして「自分が考えたことが一番正しい」と思い込んでいる人は、「他者の言葉を聞き入れず、成長するチャンスを失う」ということも学ばせていただきました。

きっと、反面教師を目指してらっしゃるのでしょうね。

うん、きっとあなたの言うとおり。動物にも心はあるに違いない。心ってなんだという問いかけにきちんと答えてもらえればだけど。今のところ、心に実体はないとされているよな。強いてあげれば「脳」。現在の科学で判明しているのは、いわゆる「心」とか言われる精神活動は、脳が大きく関わっているらしいということ。それも大脳新皮質と大脳旧皮質とかが大きく関与しているとか言われてる。「心」なんてその活動を漠然と表現していることばでしかない。

コメントしたひとは「共感力の違い」とか書いているが、俺から言わせてもらえば「あなたの言う共感力ってなんだ?」である。昔むかしに「相手の身になって考えるということ」というエントリにも書いたが、俺には動物の気持ちはもとより、人の気持ちさえ全くわからない。想像することはできるが、本当のところはわからない。わからないのが真実であって、「人や動物の気持ちが分かった」とか言っている人は超能力者かなにかだ。そんなの疑似体験とかで想像するしかないのに、わかったと断言できる人のほうが不思議である。

上記のようなコメントをする人は感情を害してこのあたりまで読んでいないだろうが、一番言いたいことをここから書く。

物事は現象面でドライに見る癖も付けたほうがいい。感情とかを抜きにして現象面だけを見ていれば違う面が見えてくる。そういう見方をした場合、元エントリで上げた文はこんなにもおかしい。
わずか2ヶ月という幼い体で病と戦い(事実 だが脚色表現あり)、その辛さを知っているラデミンズ(この猫)。(想像)
同じように苦しむ動物たちを放っておくことができないのでしょう。(想像)
以来、ラデミンズはこの保護施設にやってくる動物達を毎日優しく看病しているのだそうです。(看病しているように見えるのは事実、看病している意思があるのかは想像)
きっとラデミンズはこの施設で温かい治療と施しを受けたのでしょうね。(多分事実だが想像かも)
だから自分も同じように他の動物にもしてあげたいと思ったのではないでしょうか。(想像)
現象面での事実なんてほとんど書かれていないのだ。こういう切り分けができない人ってダメすぎるように思うのだが、どうか。


ブログランキング・にほんブログ村へ
posted by oyajiman at 2016年02月13日 22:00:00



コメント

コメントはありません

トラックバック

トラックバック
このエントリにトラックバックはありません
このトラックバックURLを使ってこの記事にトラックバックを送ることができます。 もしあなたのブログがトラックバック送信に対応していない場合にはこちらのフォームからトラックバックを送信することができます。.

コメントする