Linuxからアホ話まで、何でもありでござる

2015年02月18日

関係のないやつほど騒ぐし感情的になる

[つれづれなるままに]
またまた友人の話。その友人の会社は数年前にちょっと世の中を騒がせてしまったらしい。その時は報道陣も大盛り上がりで毎日のように話題を提供していた。だが、同じマスコミでも社によって対応が大きく違ったという。

一番信頼できる対応をしたのはNHKと地元新聞だったらしい。厳しいことも書かれたりしたが、その後もきちんと調査を続け、いろいろな角度からの報道をしたという。

逆にひどかったのは毎◯新聞と地元某TV局だったという。その新聞社は取材も横柄、自分たちは正義の代弁者のようなスタンスで、そのくせ報道はほぼゴシップネタのような面白い部分だけ。世の中が騒げばそれで目的達成というか、火に油をどんどんくべていくのが仕事と思っているのではないかとさえ感じたという。某TV局は完全に担当者の質の問題。会社でパワハラとかされていて、その腹いせをこちらにぶつけているのではないかとさえ思った。

強い口調で苦情を言ってくる人はほぼ例外なく当事者ではなかった。当事者でもないのにこれまた正義の味方気取りで文句を言ってくるのである。

だが、世の中こんなものなのかもしれん。当事者はそれが日常であり、なんとも思っていない。だが、それをみた周囲が勝手に騒いで盛り上がる。それでいい方向に向かえばいいのだが、そうでない場合もあるだろう。宗教もそうだが、信じこんで悪意がないことこそが一番恐ろしい結果を招くような気がする。上記の例もそうで、マスコミも苦情を言ってくる人も基本的には悪意はない。自分が正しいと信じ、それをわからせようとしてくる。そこには理屈も事情も通用せず、あるのは個人の絶対的な信念だけだ。これで世の中が良くなるのであれば誰も苦労しない。相対的に一番良いと思われる落とし所を探しそう仕向けるのが成熟した社会だと思うのだが、どうか。

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posted by oyajiman at 2015年02月18日 23:43:38



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