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2013年12月05日

親切すぎると何も考えなくなる

[つれづれなるままに]
先日、「なんだか全然人が育ちませんよね」とか宣っていた部下がとある講演にいたく感銘を受けたらしい。その講演では、教える側は教える人が自発的に動きやすくするのが重要であること、決めることの後押しと決めた後の結果のフォローが決め手であることが話されたらしい。

俺もそれと似たような話を世界でも有数な職人さんから聞いたことがある。この職人さん曰く、「良い職人を育てるためには、必要以上に教えてはいけない」のだという。自分で考え決めさせることで後々身になるのであろう。

そういう意味からすると、今の日本は教えすぎではないのかと感じる。みんなが画一的な答えを求め、それに答えることだけに集中してしまう。だから何も考えずに答えだけを求め、その答えがどうやって導き出されたのか、他の解決策はないのか、さらにはその答えが間違っていないのかなどに注意も払わない。知識量だけはそこそこかもしれんが、その知識を知恵に変えられない。だから手順を指示した仕事は無難にこなすが、パターンに当てはまらないイレギュラーなことには対処できなくなるのである。

これは教育制度による影響の最たるものだと思うが、中庸を尊ぶ今の日本人気質によるものも大きいのかもしれん。だから何をするにも比較的理解度が低い者が基準になり、そして皆もそれを求める。そこにはみんなと一緒という安心感と俺でもわかるという安堵感、そして何も考えなくて良い気楽さがあるわけで、いまさら不親切な状態にはなかなか戻せない。

しかし、このままではまじめに一億総白痴化(古いな)がますます進むのは間違いないだろう。その歪に生まれるのがモンスターペアレンツやモンスタークレーマーなんだろうね。


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posted by oyajiman at 2013年12月05日 22:00:00



コメント

Cyber

oyajimanさん、しばれますね。
 昔々子供の頃、故尾崎紀世彦さんがバラエティーで小道具の紐で「紐とかけて北海道と説く、その心は、どこでも縛れます」とか言っていたのがリフレインしてまする。

 よくぞお書きになった。
その通りですね。
このまま進めば最終的なスキルは空っぽ。
そのくせ、前職場ではこういうルーティンだったとか何だとか騒いで、その上時給まで持ってく。
考えない上に権利を主張しようという、あからさまな居直りの態度は無教養故に発生するのでしょう。
誰かが教えてくれなかった、友達はこう言った、恩師はこう言ったとか、挙句に信じられない、とかのオンパレード。
間違いは全部他人のせいなんですね。
大岡越前が必要かもw

 暫く前、システムを導入したエンドユーザーから教えに来いと呼出されました。
勿論何ら契約は無し。
曰く、判らないから教えろって言ってるんでしょ、懇切丁寧に対応して下さるように言った筈ですが、直の契約先で答えられないから来いと言ってるんでしょとかとか、とかとか、数々の言い掛かり。
マニュアルすら読んでなかった事を突っ込むと、読めないからと逆切れ。
約100Pのそれの縁には手垢すら付いていない。
思わず「漢字、多かったですかね~」と、言わせて戴きましたwww
ニッポンの未来はあぁ~あぁ~あぁ~あぁ~
猿の惑星も近い。
2013年12月06日 11:18:52

oyajiman

成果主義に代表される米国式のビジネスモデルが推奨されるようになってから、自分さえ良ければよいという人が圧倒的に増えた気がします。Win Winだかしらんけど、どこかがWin Win したらどこかがloss lossしてるんだっつーの、と叫びたい気分になったりします。

そういう「自分さえよければ・・・」という輩が生きにくい世の中になればいいのに・・・
2013年12月08日 03:39:12

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