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2010年06月07日

国民国民って言うけど、誰のこと?

[これでいいのか]
総理退陣などの政治的イベントがあると、よく「国民」という言葉を耳にする。「国民のみなさまの期待に沿えなかった」とか「国民のみなさまにご迷惑をおかけした」とか「国民のみなさまに不信感を植え付けた」とか、とにかくよく聞く言葉だ。

では、この国民とは日本国民の誰を指すのか。このことについては誰もはっきりと述べることはない。それは曖昧のままの方がなにかと都合がよいからだ。この言葉を使って、総理などの「個」から多数に呼びかけるのは正しい使い方だろう。俺が気になるのは、街角インタビューなどで一般市民が使う「国民」という言葉だ。

情報を発信する側は、例えばペルソナモデルなどで標準的な「国民」を想定しているはずだ。政治の政策もマーケティングと同様に大まかに網をかけ、その網にかかる対称をできるだけ(多く|少なく)することが重要なポイントとなるのは言うまでもなく、だからこそ対称を「国民」として総括するのは理にかなっている。しかし、その対象となった一国民が自分の事を「国民」と総括していうのはおかしい。というか、「アナタに総括してもらわなくても結構なんだが」と思う。

こういう使い方は、何かを問いかけられたときに「みんなそう言ってます」と付け加えて答えるのと根本的に同じだ。なぜこういう使い方をするのか。その理由は簡単で、自分の意見であることをはぐらかすためだ。なにか否定的な意見を言いつつ、その言動の責任をはぐらかすために「みんなそう言っている」とか「国民は怒っていますよ」と言うのだ。本当は自分が気にくわないとか怒っているだけなのである。

こういう現象を見ていると、多くの人がはっきりと「俺は怒っている」とか言えるようにならない限り、なにも解決しないような気がしないでもない。しかし、特に大きな不満がないから誰でも持っているであろう小さな不満を「国民」というオブラートに包んで話しているだけなのかもしれん。結局日本って良い国なんだよ、きっと。



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posted by oyajiman at 2010年06月07日 23:00:00



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