外見が醜い人間は、内面も醜い。
とあるファーストフードに勤めていたころ、俺はたぶん500名くらいのアルバイトは面接したんじゃないかと思う。アルバイトとはいえども仕事上は主戦力なので、採用にはいつも気を使った。
最初は面接時の応対とか会話の内容なども参考に決めていたのだが、たった数十分の面接だけではその人がどういう人なのか把握しきれるはずも無い。当然当てにしていたのにすぐやめたり、期待していたけど全然働けなかったり、真面目そうだったけれど超不真面目だったり、なんてことがよく起こった。それでも何度も何度も募集採用教育を繰り返しているうちに、なんとなくはずれはつかまないようになってきた。はずれをつかまないようにするコツ、それはちょっとしたしぐさや言葉の端々からでる「醜さ」の度合いを測ることだった。また、その醜さの度合いの計測は第一印象が正しいことが多かった。
アルバイトの仕事は接客業が主だったので、おおっぴらに募集要項には書けないが「容姿端麗」が望ましいのは言うまでも無い。実は俺は上にあげた益田と同じような意見を持っている。内面が醜い人間はかならず外見にでる。募集採用教育を繰り返すたび、その考えは正しいと思えるようになった。性格の悪さや意地の汚さは必ず外見にでるのだ。
もともとの容姿が悪くとも、正直で真面目で明るい人は醜く見えない。そして、人間の骨格はだんだん変わるのだ。いつでも明るく正直で多数の人間から慕われている人は、次第に綺麗になっていくのである。