Linuxからアホ話まで、何でもありでござる

2006年07月15日

冷めていた王様の周囲?

[決めてくれ~~]
冷めていた王様の周囲/検証ジーコ日本 - 2006年ドイツW杯 日本代表ニュース : nikkansports.com

すこしかじった人ならやっぱりねなんて思いそうなこの話。だけど、この話が本当だとすれば、中田の強さにフィットできかった周囲とフィットさせることをしなかった監督(フィットさせるようにしたのかもしれないが、結果としてフィットしていなかったとすればしていないのと同じ)についてももっと述べるべきではないのか。

まず第一に試合に勝つことが最重要命題だとしたら、そのためには強い武器を前面に押し出すことは当り前のことだと思う。ましてやチームの中心に中田を据えていたのであるから、王様に従わない、あるいは従えない家来は必要ないのだ。王様を変えたほうが強いとなれば変えることが当然必要である。

ジーコは現役のときは絶対的な王様であったと思う。現役のころのジーコは間違った判断をする可能性がきわめて低く、家来をひれ伏させる圧倒的な力を持っていた。だが、残念ながら中田はそこまでの選手ではない。確かに日本の中で、特に試合の中での存在感は際立っていた。しかし周囲をひれ伏させるほどの力は持っていない。周囲の選手にはもっと技術が上の選手もいるし、ファンタジスタの能力が高い選手もいる。高い能力を確実に計算できるのが中田であり、驚きはあまり持ち合わせていない。

そうはいってもチームの中心は中田であったのであれば、我を殺しても中田が動きやすいようにするのが当然の話であり、それが代表チームメンバーの義務であると思う。いくら自分が楽しい試合をしても、つまらぬ負けかたをしてしまえば代表の責任は果たしていないといってもいい。

チーム内の本当のことはわからないが、試合だけを見る限りでは中田以外は自分の役目を果たしたとは思えない。役目を果たしていないにも関らず、チーム内の溝があるから負けたなんてアマチュアみたいな釈明は聞きたくもないしこれからもあって欲しくない。

中田の引退の理由ひとつは、日本代表にかける熱意が切れてしまったからなのかもしれない。いくら言葉と態度でプロ意識を伝えようとしても自分のやり方では変えることが出来なかった、そういった思いが引き金になったのかもしれない。

中田のプレーを見ていると、代表にかける思いがひしひしと伝わってくる。確かに一部で言われるように自分を高く売るためとも取れなくもない。だが、最高の舞台で持てる力を十二分に発揮し、それが評価されることに対して、何の不満があるのか。王様を引き立てることで自分もより引き立つと何故思わないのか。

孤立した王様を助けるのは、もっと上の立場の監督しかいない。王様を生かすために周りをどう使うのか、それが出来るのは監督だけなのだ。

ジーコ信者だったが、サッカーを思う人々のジーコ不要論は正しかったと言わざるを得ない。自分のサッカーに対する認識の甘さを痛感する。

ブログランキング・にほんブログ村へ
posted by oyajiman at 2006年07月15日 09:16:00



コメント

コメントはありません

トラックバック

トラックバック
このエントリにトラックバックはありません
このトラックバックURLを使ってこの記事にトラックバックを送ることができます。 もしあなたのブログがトラックバック送信に対応していない場合にはこちらのフォームからトラックバックを送信することができます。.

コメントする